(1)遠賀川の由来

いつの頃からおおやけに遠賀川と呼ばれるようになったのか、呼称の起源は明らかではありませんが、石炭の輸送が盛んになった明治20年代後半からではないかと推測されます。

それ以前は、たとえば、貝原益軒の『筑前風土記』はもちろん、その後に青柳種信によって編まれた『筑前国続風土器拾貴』の直方町の条を見ても「直方川町の東を流る」と書いてあり、山部村の条にも同様に「直方川」とあります。

明治5・6年ごろ編纂された「福岡県地理全誌」にも遠賀川の名称はなく、同誌によると直方地域遠賀川に接した各村ごとにあげられた村内の河川名について見ると、直方町には河川名が記録されず、山部、知古、感田、上新入、下新入、植木、赤池など10ヵ村以上の各村がいずれも木屋瀬川と書いてありました。

明治20年に陸地測量部によって測量され、同24年に作られた筑豊地方の地図に表示された河川名を見ると芦屋の河口までが嘉麻川となっています

それが遠賀川と呼称されるようになったのは、下流に位置する遠賀郡から取られたのではないかと思われます。河口一帯は、古事記に記される上古の時代は岡と呼ばれ、これを遠賀に書き改め、オンガと読まれるようになったようです

支流の河川名の由来については様々でありますが、神社、仏閣に由来してつけられた地名に起源を持つ中元寺川(中元寺)、大分川(大分八幡宮)、千手川(千手寺)御祓川(香春神社)、地形的な特徴を表した犬鳴川(犬とは低くて狭い土地、鳴は川の音がするの意味)八木山川(ヤギとは山間の狭い土地の意味)泌川(七十五石地区などの大きな田所を切って流れる)があり、金辺川のキベについては銅が採れた土地をさしています。

遠賀川は、過去、地盤変動に影響されながら洪水によってたびたび流れを変え、今日の状態になったようです。